富岡シルク(群馬県)

富岡シルクは、群馬県で作られる絹です。特許庁に地域団体商標として登録されています。2つの制度の違い

富岡シルクとは、どんな生地か

素材絹
産地群馬県
認められ方地域団体商標

富岡産の繭だけを使用した「純国産」シルク。原料の生産から製品化まで国内で一貫して行う高品質な絹製品。

本物の富岡シルクは、どこが決まっているか

富岡シルクという名前で売れる範囲(商標の登録原簿)

群馬県富岡市産の繭を主要な原材料とする生糸(「脱脂屑糸」を除く。)

群馬県富岡市産の繭を主要な原材料とする生糸を用いた絹織物(「畳べり地」を除く。),群馬県富岡市産の繭を主要な原材料とする生糸を用いた絹織物類

登録で指定されている市区町村=富岡市

ここに書かれていない作り方や産地のものは、見た目が似ていても富岡シルクとして売れません。⚠ 商標は作り方までは決めていません。

誰が、どうやって富岡シルクを作ってきたか

年表

関わった人

ポール・ブリューナ富岡製糸場に単気筒式の蒸気エンジンを導入した(「ブリューナ・エンジン」と呼ばれる)
尾高惇忠富岡製糸場の初代所長(場長)を務め繭の思惑買いなどにより日本人のみで黒字経営を実現した
和田英富岡製糸場に工女として入場し当時の記録として『富岡日記』を書き残した

糸と染めはどこから来たか

群馬県オリジナル蚕品種の開発と碓氷製糸による生糸加工

尾高惇忠とポール・ブリューナ、始まりは赤字続きだった

富岡シルクという名前の生地をたどっていくと、群馬県富岡市にあった富岡製糸場に行き着く。着物の生地として今に伝わるこの名前の背後には、一つの製糸場が歩んできた歴史がある。その富岡製糸場を切り盛りしていたのが、初代所長(場長)の尾高惇忠と、首長ポール・ブリューナだった。ウィキペディア『富岡製糸場』によれば、「初期の富岡製糸場は初代所長(場長)尾高惇忠、首長ポール・ブリューナを中心に運営されたが、前述の不熟練工の問題やブリューナ以下フランス人教婦、検査人などのお雇い外国人たちに支払う高額の俸給、さらに官営ならではの非効率さなどの理由から大幅な赤字が続いていた」という。日本人の所長とフランス人の首長という、出身の異なる二人がそろって工場の中心に立っていたことになる。不慣れな働き手の問題、外国人への高い俸給、官営ならではの非効率さ。赤字の理由として挙げられているのは、この三つである。国が手本として工場を作るという意味の「官営模範工場」として動き出したはずの富岡製糸場は、始まりからして黒字とは縁遠い場所だった。

富岡が建設地に選ばれたのは、ウィキペディア『富岡製糸場』によれば「そして、明治3年閏10月7日(1870年11月29日)に民部大輔らと正式な雇用契約を取り交わすと、同月17日(1870年12月9日)には富岡を建設地とすることを最終決定している」という経緯からだった。そして「富岡製糸場は、明治5年10月4日(1872年11月4日)に官営模範工場の一つとして操業を開始した」。建設地の決定から操業開始までの2年は工場を立ち上げるための準備期間だったが、その先で待っていたのは順調な滑り出しではなく、赤字という現実だった。

ブリューナが持ち込んだ蒸気の力

赤字の一因とされた高額の俸給を受け取っていたお雇い外国人の中心が、ブリューナだった。彼が富岡製糸場に持ち込んだのが、蒸気の力である。ウィキペディア『富岡製糸場』によれば、「製糸場の動力を司り、一部は煮繭に使われた。ブリューナが導入した単気筒式の蒸気エンジンはブリューナ・エンジンと呼ばれ、今は片倉工業の寄贈によって博物館明治村(愛知県犬山市)で展示されている」という。単気筒式とは、動力を生み出すシリンダーが一つの構造を指す。煮繭とは、繭を煮て糸を引き出しやすくする工程のこと。生糸(蚕の繭からとった糸)を作るための一連の作業のうち、力仕事にあたる部分を、蒸気エンジンという当時最新の機械が担っていたことになる。高額の俸給を払ってでもブリューナを雇っていた理由は、この動力の技術にあったといえる。人の手だけに頼らない生産の仕組みを、最初から作ろうとしていたことになる。

工女として来た和田英と、世界に示した評価

富岡製糸場で働いていたのは、経営陣だけではない。ウィキペディア『富岡製糸場』によれば、「同年4月に就業していた工女は556人となり、4月入場者には『富岡日記』で知られる和田英(横田英)も含まれていた」という。工女とは、製糸場で糸を紡ぐ仕事についていた女性たちのことをいう。和田英はその一人として富岡製糸場に入り、後にその日々を『富岡日記』として書き残した。工女として働いた本人の目から見た富岡製糸場の様子を伝える記録として、その名は今も知られている。

赤字を抱えながらも、富岡製糸場の技術は国内にとどまらなかった。1873年、富岡製糸場はウィーン万国博覧会に出品し、進歩賞という評価(世界で第二等)を得ている。経営は苦しくても、そこで作られた生糸は世界の舞台で評価を受けていたことになる。

群馬県オリジナルの蚕品種

富岡シルクを支えているのは、群馬県オリジナルの蚕品種でもある。絹とは、蚕の繭からとれる糸で作られた織物のことをいう。蚕とは、糸を吐いて繭を作る昆虫で、その繭から生糸がとられる。一般社団法人富岡シルク推進機構によれば、富岡シルクは群馬の気候風土に合わせて開発された蚕品種を使い、それぞれの品種の特性を生かすことで、他にはない商品づくりにつなげているという。気候風土に合わせて開発されたということは、群馬でなければ生まれなかった品種だということでもある。品種はぐんま細・ぐんま200・ぐんま黄金・なつこ・蚕太・上州絹星・新小石丸・新青白・世紀二一の9つ。同機構は、今もこれだけ多くの蚕品種が残っているのは「絹の国」と呼ばれる群馬ならではの蚕糸技術だとしている。

「純国産」を条件にした商標と、今も残る2社

富岡シルクは、国の伝統的工芸品の指定を受けているわけではない。特許庁(商標や特許を管理する国の機関)に登録された地域団体商標(地域の名前を商品名に結びつけて認める商標制度)であり、その登録原簿には、富岡シルクを「群馬県富岡市産の繭を主要な原材料とする生糸」と定め、「脱脂屑糸」を除くとする条件が記されている。一般社団法人富岡シルク推進機構は、この条件を「純国産」という言葉で説明し、原料の生産から製品化まで国内で一貫して行う高品質な絹製品だとしている。繭から生糸になり、製品になるまでの工程がすべて国内で完結していることこそが、この商標の核にある条件だといえる。

養蚕業は、長く衰退を続けてきた。同機構によれば、「養蚕業が衰退の一途をたどる中、富岡製糸場の世界遺産登録を機に富岡では養蚕文化を継承しようという若き担い手が登場しています」という。そして今、純国産にこだわり、日本で生産された繭だけを扱うという条件を守り続けている現役の機械製糸工場(機械の力を使って繭から生糸を引く製糸の工場)は、碓氷製糸を含めて全国にわずか2社しか残っていない。富岡シルクという一枚の生地の背景には、この2社がなお守り続けている「純国産」という条件がある。原料の繭も、糸にする工程も、製品になるところまでも国内で完結させる。その条件を守りながら操業を続ける工場が、全国にこれだけしか残っていないという現在地が、富岡シルクという名前にはついて回っている。

出典:ウィキペディア『富岡製糸場』/一般社団法人富岡シルク推進機構(確かめた日:2026年9月27日)

富岡シルクは、いまどれだけ残っているか

いま残っている数碓氷製糸(全国に2社しか残っていない現役の機械製糸工場・国産生糸の約7割を生産)(記載なし(確認日時点現役))

養蚕業の衰退

富岡シルクのことは、どこに聞けばよいか

組合1一般社団法人富岡シルク推進機構

出典

取得日=2026-09-04。このページの事実は、上の出典に書かれていることだけを載せています。

⚠ 海外での紹介・受賞は出典に記載が無く、確認できませんでした(表の「─」)。

同じ群馬県の生地

ブランド伝統工芸士直近10年の認定最後の認定
伊勢崎絣織物───
桐生織織物1512021年
TOMIOKA SILK────

「─」は登録を確認できなかったという意味です(⛔ 作り手がいないという意味ではありません)。